【書評】偉大な政治家の責任とは:中兼和津次著『毛沢東論』 | nippon.com
中国共産党は2021年7月で創立百周年。創設者の一人で、中華人民共和国の成立を宣言した毛沢東(1893-1976年)は20世紀の「政治的巨人」だ。毛沢東をつぶさに分析した本書は、彼の遺産を引き継ぐ今の中国を理解するうえで役立つ。
政治家は「富士山」に喩えられる
「政治家は富士山に似ている」――。日本の政界で、よく知られている成句だ。富士山は遠くから眺めれば美しいが、近くに行くと岩がゴロゴロしているなど必ずしも綺麗ではない。政治家も間近で接すれば、いろいろと欠点も見えてくるという喩(たと)えである。
毛沢東はヒトラー、スターリンと並ぶ20世紀最悪の独裁者の一人との見方がある。半面、「彼の熱烈な崇拝者と現代中国の公式的見解によれば、彼はマルクス主義を創造的に発展させた偉大な思想家であり、何よりも中国を解放し、アメリカやソ連にも対抗した比類なき民族的英雄となる」
著者、中兼和津次(なかがね・かつじ)氏は1942年北海道生まれで、東京大学名誉教授(経済学博士)。中国経済の研究者として知られる。今回、毛沢東について論じる本書の主な狙いについてこう解き明かす。
「好き嫌いは別にして、もっと客観的に、また十分に距離を置いて、毛沢東という人物はいったいなぜ、またどのような行動をとったのか、彼の行動の根本を決める主旋律、思想の根幹は何か、そこにいかなる問題が内在していたのか、彼は現代中国に何を遺したのか、さらにもっと大きな問題として、大躍進や文化大革命に象徴されるようなすさまじい惨禍と犠牲を伴いつつも、なぜ彼が中国を統治し続けられたのか、などなど、彼の行動、政策にまつわるさまざまな問題を少々常識論的に、しかしできるだけ論理的に考え、説明してみよう」
「生々しい現実」も客観的に描く
著者は「とくに感情的に中国を見る風潮が昨今わが国では強いだけに、(反証可能な、ないしは仮説的に、という意味で)『科学的に』」毛沢東と現代中国の双方を捉え直すことが必要だと強調する。
本書は『毛沢東選集』所収の「矛盾論」と「実践論」をはじめ中国共産党、中国政府の公式文書や中国語文献、日本語文献、英語文献、地下出版物も含めて幅広く渉猟し、毛沢東の思想や行動を客観的、科学的に分析しているところに特色がある。
中国国内で出版される『毛沢東伝』や『周恩来伝』などは「理想的指導者像、いわば表の顔を描いているだけで、裏の顔は書かないか、書けないのである」。中国共産党の公式見解は「モデル(理想像)」が多く、「マドル(生々しい現実)」が語られることはまずない。
本書では、公式見解では伏せられている「生々しい現実」にも光を当てる。いわば広角、標準、望遠、接写など各種レンズを使い分けるような手法で、多面的性格を持つ“政治的巨峰”の実像と細部を描写している。
自画像は「マルクス+秦の始皇帝」
毛沢東は「単なる政治家ではなく、軍事戦略家であり、思想家であり、詩人でもあった」。本人は「自ら『マルクス+秦の始皇帝』と称した」という。
「秦の始皇帝の権力(政治的権力)と併せてマルクスの権威(思想的権威)を持とうとしていたし、前者は後者によって補強されていたのではないか。その上、秦の始皇帝そっくりの専制・暴力論と、マルクスの暴力革命論に由来する暴力肯定のイデオロギー、この二つを彼は併せ持っていたのではないか」。これが著者の仮説である。
「科学的社会主義」の創始者で、ドイツの経済学者、哲学者、革命家でもあったカール・マルクス(1818-83年)は『共産党宣言』や『資本論』などを著した。読書家だった毛沢東はマルクスの著作を「中国語訳を通して」読んだ。
著者は毛沢東が革命勢力としての農民を「発見」したとも指摘する。しかし、「階級闘争を旗印に社会を分断させ、批判的な集団や個人を徹底的に弾圧し、異論を唱える同志たちを次から次へと迫害・粛清するとなると、これはマルクス主義の新たな発見、創造、それに対する貢献というよりも、むしろ残酷な悪用というべきである」と断じる。
大躍進、文革の二大惨劇を発動
中国は毛沢東時代、二大惨劇が社会を激しく揺るがした。1958年からの「大躍進」と、1966年から10年間続いた「文化大革命(正式にはプロレタリア文化大革命)」である。
「二つとも毛沢東自らが発動し、全国(民)を巻き込み、国家と社会、それに経済を破滅の危機に陥れ、そして歴史的に見て名状しがたい悲惨な結末を迎えた点で共通している」
大躍進時代には大飢饉が起こり、数千万人ともいわれる餓死者を出した。文化大革命は「死者数から見れば大躍進期の非正常死に及ばない」ものの、「『階級闘争』の名のもとに告発から迫害へ、それが拷問に、さらには処刑・惨殺へと展開していった」のである。
こうした異常事態が続いたにもかかわらず、「中国は崩壊せず、共産党政権は微動だにせず、最高責任者毛沢東も失脚することはなかった。なぜだろうか?」と著者は問う。
マルクス教「毛沢東派」の教祖
中国が毛沢東時代、「体制の安定性」を保ち続けた要因はいろいろと考えられる。著者は先ず、毛沢東が軍隊を掌握していたことを「重要な要因」に挙げる。
「鉄砲から政権が生まれる」、「政権とは何か、力とは何か、権力とは何か、ほかでもなく軍隊である」……。毛沢東の有名な語録で、本書でも引用されている。
だが、毛沢東が統治を続けられた「最も根底にあった要因」は、“神化”という「宗教的要因」だとの仮説を展開する。「神=教祖」である毛沢東には「誰一人として真正面から反抗しなかったし、できなかった、ないしはしようと考えもしなかった」という。
なぜなら、この革命家は強烈なカリスマ性を帯びていたからだ。毛沢東は1927年、中国の湖南・江西両省の境にある井岡山(せいこうざん)に革命の根拠地を建設、ここに立てこもり、包囲する強大な国民党軍を四度も撃退した。戦後の国共内戦でも国民党軍を打ち破った。
こうした解放闘争史における比類ない実績に加えて「他の指導者にはない歴史に対する広汎な知識、哲学的素養、それに伝統的中国知識人(読書人)には不可欠な能力である作詩力を持っていた」。しかも弁舌が立つ。「毛沢東教あるいはマルクス教毛沢東派」の教祖とも擬せられる所以だ。
「毛沢東時代、真理は天から降ってきた。神、またはその代理である教祖たる毛沢東は唯一の真理を語る絶対的存在であり、それを疑うのは『不敬』となる」。因みに本書の表紙にある副題は「真理は天から降ってくる」である。
魯迅、周恩来との微妙な関係
本書は「はじめに」と10章に続く「終章」で構成されている。このうち第2章「毛沢東と魯迅」と第9章「毛沢東と周恩来」の内容は極めて人間臭い。作家の魯迅(本名周樹人、1881-1936年)、新中国の初代総理となった周恩来(1898-1976年)とも日本留学組で、この二人と毛沢東との関係は極めて微妙だった。
中国共産党が魯迅を「聖人」に祭り上げて陣営に引き込んだことはよく知られている。著者によると、毛沢東は魯迅を「革命のための『道具』」とみていたという。一方、魯迅は革命のためでも「人を殺すことはどんなことがあってもよくない」と考えていた。
魯迅と毛沢東は生涯、直接会うことはなかったが、著者はこう推察する。「極端なことをいえば、文学者魯迅が建国後も生き残っていれば、政治家毛に殺されていたかもしれない」
「よく毛沢東は厳父だったのに対して、周恩来は慈母だったといわれる」。革命第一世代の二人の英雄は建国の父、母とも呼ばれたが、その関係には曲折があった。
日本に続いてフランスにも留学した周恩来は毛沢東より5歳下だが、二人が1926年に最初に会った当時は中国共産党内で格上だった。ところが、党幹部の思想改造運動である「整風運動」が1942年から抗日・解放運動の本拠地、陝西省の延安で実施され、立場が逆転した。
「この整風運動の結果、周恩来が毛沢東に服従する関係が決定的になり、基本的には死ぬまで続いていくことになった」
著者の周恩来に対する評価は「遠くから彼を見れば見るほど、彼は優しい母親のイメージを醸し出す。逆に、近くにいて実物の彼を見ていた人ほど、もちろん彼に救われた人を別にして、非情な政治家に見えたのではなかろうか」。まるで日本政界の“富士山の比喩”のようだ。
「いずれにせよ、毛沢東ばかりではなく、周恩来という、大衆に絶大な信望のあった政治家についても、そのモデル(理想像)と併せマドル(汚い現実)を見る必要があるだろう。社会主義中国の、これまで多分に脚色されてきた歴史像をもっと現実に近づけるために、そうした作業は不可欠である」
英雄の女性観、日本の“反面教師”
「女性は天の半分を支えている(婦女能頂半辺天)」。男女平等を象徴する毛沢東の名言とされている。第10章「毛沢東をめぐる女性たち」では、建国の英雄の婚姻や女性遍歴にも触れているが、著者は「女性を手段として見ていた」との仮説を提示する。その典型例として大躍進時代の公共食堂を挙げる。
「女性を家事労働から解放するという建前で全国の人民公社に公共食堂を作ったが、その大きな狙いは労働力の『解放』にあって、家庭内で毎日三食の食事に関わってきた女性の労働力を農業生産に、あるいは一部は鉄作り運動に投入するためだった」
「建前、ないしは理念・モデルとして女性解放といいつつも、実態としては大して『解放』していなかったし、現在もしていないのである」
本書では、男女平等の度合いを示す2020年の「ジェンダー・ギャップ指数」(GGI)を紹介している。中国は世界153カ国中106位。「残念ながら毛沢東時代にかんするGGIの国際比較はないが、基本的に現在と大きく変わっているようには思えない。『社会主義体制』が女性を解放する必要条件ではないことはこのことからも分かる」と解説する。
日本の順位は中国より下の121位で、主要7カ国(G7)で最下位だ。「反面教師」という言葉はかつて毛沢東が演説で使ったとされるが、GGIでは日本こそ中国を反面教師にした方がいいかもしれない。
「幽霊がまだ中国に漂っている」
毛沢東が1976年に天上の「赤い星」となった後、中国は1978年、改革開放路線に舵(かじ)を切った。鄧小平が主導して社会主義市場経済を推進、1989年の天安門事件を経ながらも高度経済成長を続け、2010年には日本を抜いて世界第2の経済大国へと躍り出た。
もはや「毛沢東思想」などは死語になったような印象があるが、どっこい、そういうふうにはなっていない。著者は、『毛沢東と中国――ある知識人による中華人民共和国史』などを上梓した銭理群・元北京大学教授の「毛沢東が逝った後、彼の幽霊がまだ中国の大地に漂っていて、中国社会の発展に影響を与えている」との見解を引用したうえで、こう論じる。
「現代中国の実像を見れば見るほど、『毛の幽霊』が中国に漂っているだけではなく、しっかり社会と政治の統治原理として中国の大地に根付いてしまっていることに気づく。その意味で、彼の影響は今に至るも巨大なものがある」
今日の中国について著書は、かつてのような社会主義イデオロギーは消えてしまったとしながらも「社会主義を共産党支配と同一視し、毛沢東神話が依然として残り、強権による安定を是とする考えは変わっていない」と看破する。
「ミニ毛沢東」目指す習国家主席
「中華民族の偉大な復興」を唱える習近平国家主席は「『毛沢東思想』ならぬ『習近平思想』を持ち出し、毛沢東崇拝を模した個人崇拝のための演出を行い、長期の絶対的権威を確立しようと考えているようである」。いわば「ミニ毛沢東」を目指している。
「中国は経済発展を武器に、また最近では新型コロナウイルスを制御できたと、自らの権威主義的独裁体制の『優位性』を大いに宣伝している」
確かに今の中国は経済的に豊かになり、人工知能(AI)やデジタル技術でも世界の最先端を行き、何でもあるように見える。しかし、「自由」はない。
「人権派弁護士がある日突然姿を消したり、チベットやウイグル地区におけるような少数民族を弾圧したりといった、マルクスや魯迅が知れば驚き、悲しむであろう異様な抑圧体制を見るにつけ、現代中国は毛沢東中国とその本質は変わっていないことが分かる。鄧とそのあとを継いだ今日の中国指導部は毛の遺産をしっかりと受け継いでいる。中国では昔も今も、真理は天から降ってくることに変わりはない」
多くの中国人は毛沢東を「偉大だ」と形容してきた。その偉大な指導者は1959年6月、「政策決定が間違っていたら、指導者は責任を負わなければならず、一方的に下の方に責任を押し付けることはできない。指導者は指導されるものに代わって責任を取る、これが部下の信任を得る一つの重要な条件だ」と訓示を垂れたという。
「しかし考えてみれば、毛は自らが引き起こした、たとえば大躍進や文革のような計り知れない惨禍に対して責任を取ることは決してなかった」
こうした毛沢東観察を踏まえ、著者はチャーチル元英国首相の含蓄ある警句で本書を締めくくっている。
「偉大さの代償は責任である(The price of greatness is responsibility)」
「毛沢東論」
中兼 和津次(著)発行:名古屋大学出版会四六判:438ページ価格:3960円(税込み)発行日:2021年4月30日ISBN:978-4-8158-1023-8
日本人が作った強制動員演劇「ほうせん花」、再上演 : 政治•社会 : hankyoreh japan
10~11日、名古屋市で…2003年初演 「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」のメンバーたちと 「愛知・県民の手による平和を願う演劇の会」が主催
名古屋市公会堂舞台で行われた演劇「ほうせん花2022」のリハーサル=日帝強制動員市民の会提供//ハンギョレ新聞社 約20年前、名古屋で上演された朝鮮女子勤労挺身隊の強制動員の実状を描いた演劇「ほうせん花」が、再び日本の舞台に上がった。 日帝強制動員市民の会は8日、「今月10日~11日、名古屋市公会堂で、合唱演劇『ほうせん花2022 つなぐ記憶と継承』が3回上演される」と発表した。今回の公演は日本の市民団体「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」(名古屋訴訟支援会)と「愛知・県民の手による平和を念願する演劇会」が共同で主催した。 出演陣32人は、名古屋訴訟支援会の高橋信代表など日本人と在日韓国人で構成された。被害者のヤン・クムドクさん(93)と「日帝強制動員市民の会」のイ・グゴン理事長も最後の公演の時にオンラインで出演。高橋はなさん(13)が77年前の「少女ヤンさん」役を演じるなど、13歳から86歳までのメンバーと一般市民が出演した。名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会提供//ハンギョレ新聞社 演劇は朝鮮女子勤労挺身隊被害者たちの名誉回復と被害救済のため、日本政府と加害企業を相手に闘っている名古屋訴訟支援会の活動を記録したドキュメンタリー『名古屋のパボ(ばか)たち』をもとに、未来の世代に伝えたい話を中心に構成されている。名古屋訴訟支援会は1944年12月の東南海大震災の時に死亡した朝鮮人少女たちの追悼碑を三菱航空機製作所に建て、勤労挺身隊被害者に対する謝罪と補償を求める訴訟を起した。また、毎週金曜日、三菱重工業本社前で集会を開き、謝罪を求めている。2003年には「ほうせん花 朝鮮女子勤労挺身隊」というタイトルの演劇を公演し、朝鮮女子勤労挺身隊の実状を知らせた。 高橋信代表は「観客1500人を目標に、過去について知らない日本人に勤労挺身隊問題を伝ええるため、19年ぶりに再上演を企画した」と説明した。キム・ヨンヒ記者(お問い合わせ [email protected] )https://www.hani.co.kr/arti/area/honam/1058092.html韓国語原文入力:2022-09-0909:55 訳H.J ...
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全国に7つある「旧帝大」に序列はあるのか…北海道、東北、東京、名古屋、京都、大阪、九州の「政治的な位置付け」 そもそも、戦前の「旧帝国大学」は9校あった | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
「旧帝国大学」とは戦前に設立された帝国大学を指し、現在では日本を代表する難関国立大学となっている。評論家の八幡和郎さんは「1886年に最初の帝国大学が東京に設立され、これを唯一の帝国大学にすることが模索されたが、立身出世に燃えていた時代だったので、結局は全国各地につくられることになった」という――。
「地元の旧帝国大学」が人材流出を防いでいる
進学校の高校が大学受験の合格者を競うとき、東京大学合格者や東京大学・京都大学合格者の合計が話題になるが、大都市圏以外では、旧帝国大学合格者数が基準にされることが多い。
たとえば、東北地方を見てみると、人口が多い宮城県を除く青森、岩手、秋田、山形、福島の5県では、東京大学の合格者数は合計36人だが、東北大学の合格者数はその10倍以上の479人に上る(2022年度)。北海度における北海道大学、九州地方における九州大学も似たような傾向がある。
しかも、山形県の場合だと東京大学合格者は3校からしか出ていないが、東北大学には11校から合格者を輩出している。一握りのトップ層は東京大学や京都大学を目指すものの、一般の生徒たちが目指す「頂点」は東北大学であり、人材流出のダムの役割を果たしているのだ。
ところで、この旧帝国大学がどういうものなのかを知っている人は、意外に少ないのではないか。そこで、この記事では、明治時代における誕生から終戦後に帝国大学という名称が消えるまでの歴史と、今日の姿を紹介したいと思う。
京城と台北を合わせて9校あった
戦前の帝国大学は、北海道、東北、東京、名古屋、京都、大阪、九州のほかに、京城帝国大学(現在のソウル特別市)と台北帝国大学があって「九帝大」だったが、国内にあるのは7校である。その枠組みが残っているのは、これらの大学の体育部の対抗戦である全国七大学総合体育大会で、「七大戦」というのが正式の略称だが、「七帝戦」と呼んでいる人も多い。
まずは、各帝国大学がどうやって誕生したかを振り返っていこう。
明治新政府は、維新から間もない1872年に「学制」を制定した。フランス法学者で文部省・司法省官僚の箕作麟祥が中心となっていたので、その内容は濃厚にフランス的なものだった。
これは全国を8大学区に分け、各大学区に大学校1校を置き、1大学区を32中学区に、1中学区を210小学区に分けて、全国に大学校8校、中学校256校、小学校5万3760校を置いてピラミッド式の整然とした秩序をつくるというものだった。
ただ、明治政府が最優先としたのが小学校教育の普及だったため、わずか3~4年の間に、2万6000ほどの小学校が設置され、これが地方自治の最小単位にもなっていく。
福井県名古屋事務所17年ぶり復活へ 9月ごろ開設 中京圏から企業誘致、観光誘客 | 政治・行政 | 福井のニュース
9月ごろ開設 中京圏から企業誘致、観光誘客
2021年4月2日 午後5時00分
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「誰かを解雇するしか…」広がる政治資金パーティー自粛、議員は嘆き [写真特集1/4] | 毎日新聞
「誰かを解雇するしか…」広がる政治資金パーティー自粛、議員は嘆き [写真特集1/4] | 毎日新聞
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おか 明彦 愛知県議会議員(名古屋市 緑区)
https://www.youtube.com/watch?v=zxDJEUdiYgg
こんにちは。おか明彦です。
なかなか進まない地域社会の再生、中小企業の復活、少子高齢化と人口減少、子育てへの不安・・・。
そして、ウィズコロナ、アフターコロナに関わらず、経済再生の今後もはじめ、多くの皆さまは、ばく然とした不安感を抱いていると思います。
私は、高校教師としての経験を原点に、現在は愛知県議会議員、公明党愛知県本部幹事長として、東海地域の教育や経済、防災や福祉などさまざまな問題に取り組んできました。
いま、政治に求められているのは、地域の皆様の底力を引き出す発想力と決断力、実行力だと思います。
おか明彦は、
地域の皆さまと結んだ絆を育み、新しく、美しい希望あふれる緑区づくり、地域社会づくりに向かってまい進してまいります。
どうか一層のご支援をよろしくお願い申し上げます。
選挙ドットコム おか明彦 ページ
2022年3月までの8年間の議員活動をまとめたインタビュー記事です。ご覧ください!
「小さな声を大切にして政策提言」愛知県議会議員 岡明彦(おか・あきひこ)さん県政報告インタビュー
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トリプル選挙あす投開票 6候補、きょう最後の訴え | 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS
2021年10月30日 12:30
第49回衆院選、知事選、県議選石巻・牡鹿選挙区(定数5、欠員1)の補欠選挙は31日、投票が行われ、即日開票される。トリプル選は大詰めを迎え、各陣営はそれぞれ一騎打ちの戦いを制するため、支持固めや浮動票の取り込みに総力を挙げる。
衆院選・宮城5区
宮城5区は、9選を狙う立憲民主党前議員で党国対委員長の安住淳氏(59)と、元タレントで自民党新人の森下千里氏(40)=公明推薦=が立候補している。
安住氏は、前政権の後手に回った新型コロナウイルス対応を取り上げ「コロナ禍で一番痛みを受けた所に温かい手を差し伸べる政治が自民党には足りない。政治の責任を取らせないと駄目だ」と語気を強める。
岸田文雄首相が自民党総裁選で主張した金融所得課税の強化を当面見送ったことや、先進国では日本だけが取り入れていない選択的夫婦別姓制度の導入に慎重な姿勢を批判している。
安住氏は「1強政治を終わらせ、野党が強くなれば日本の政治は良くなる。今こそ、政治を刷新する」と力説する。30日は本人が午後5時以降、石巻市で遊説し、支持固めを徹底する。
対する森下氏。三原じゅん子前厚生労働副大臣が28日、東松島市や石巻市に入り応援のマイクを握った。
三原氏は「石巻地方出身ではなくても地域を何とかしたいという思いで、家族や仕事の関係者を説得してやって来た覚悟がある」と強調。「石巻を復興させ、光を与えるために勝たせてほしい」と訴えた。
森下氏は「国政の光を石巻に当て、住民の暮らしを豊かに、幸せを形にしたい。10年後、生活を振り返り、『こうして良かった』と思える選択をしてほしい」と声を張り上げた。30日は石巻市中心部などを回り、浮動票の取り込みに注力する。
18日現在の有権者は25万2831人。
◇遊説日程(30日)【安住陣営】▽選挙カー=石巻市飯野川、南三陸町、東松島市矢本、石巻市中浦、双葉町、泉町、大街道、青葉、茜平、のぞみ野、あけぼの【森下陣営】▽選挙カー=石巻市中里、鹿妻、駅北、アイトピア、立町、あけぼの、あゆみ野、山の手、元気いちば、千石町、山下、向陽町
安住 淳 59 党国対委員長 立前(8)
あずみ・じゅん 石巻市出身。早稲田大社会科学部卒。NHK記者を経て1996年初当選。旧民主党政権で防衛副大臣、財務相。立憲民主党国対委員長。
森下 千里 40 元会社代表 自新(公推)
もりした・ちさと 名古屋市生まれ。名古屋学院大中退。2002年にタレント活動を始め、16年に会社設立。19年に芸能界を引退し、21年4月から党宮城5区支部長。
知事選
任期満了に伴う知事選に立候補しているのは、共に無所属の新人長純一氏(55)と、5選を狙う現職村井嘉浩氏(61)。4期続いた村井県政への評価と、東日本大震災からの復興の方向性、新型コロナウイルス対策が主な争点となる。
「対話基調の県政」を掲げる長氏は、市民団体や野党系県議らが共闘態勢を築き、医療福祉の拡充や女性の視点に立った子育て支援を訴える。東北電力女川原発2号機(女川町、石巻市)再稼働の「地元同意」撤回を公約に盛り込んだ。
石巻市で被災者の健康を支えた経緯から、29日は石巻市の復興住宅を重点的に巡り、声をからした。
村井氏は、本格的な人口減少に備えた「民の力を最大限生かす県政」の継続と発展を訴える。
政権与党の自民、公明の支援を受け、県と市町が連携した復興完遂を強調。コロナ対策の強化や、子育て環境を整備する基金創設のほか、仙台医療圏4病院の再編構想の実現や、県産品の輸出に向けた国際航空貨物輸送便の誘致を公約に盛り込んだ。
長 純一 55 医 師 無新
ちょう・じゅんいち 東京都出身。信州大卒。長野県の病院勤務を経て2012年、石巻市立病院開成仮診療所長。21年2月まで市包括ケアセンター所長を務めた。
村井 嘉浩 61 知 事 無現(4)
むらい・よしひろ 大阪府出身。防衛大学校卒。陸上自衛隊東北方面航空隊などを経て県議3期。2005年の知事選で初当選し4期目。
県議補選・石巻牡鹿区
県議補選には、自民党元議員の池田憲彦氏(68)=公明推薦=と、無所属新人の加納三代氏(45)が立候補している。
池田氏は、少子高齢化や人口減少に危機感を募らせる。人口問題では大崎市との差が1万1000人余り(9月1日現在)に迫っていることに触れ、「第2県都として雇用の場の確保など産業振興を図らなければならない」と述べ、支持拡大を訴えている。
加納氏は29日、旧石巻市市街地のスーパーを回り、子育て世代や高齢者らの支持固めに奔走した。「石巻、女川のハード整備は整ったが、ソフト面や運営は自治体に任されている。孤立防止や補助金返済への手厚い支援が得られるよう働きかけていく」と強調した。
池田 憲彦 68 会社役員 自元(4)(公推)
いけだ・のりひこ 1953年、旧河南町生まれ。明治大政経学部卒。97年の県議補選で初当選し、通算4期。県議会議会運営委員長などを務めた。
加納 三代 45 会社役員 無新
かのう・みよ 鹿児島市出身。慶大大学院修了。2012年衆院選宮城5区に自民党公認で立候補し、落選。比例東北で復活当選し、1期務めた。
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